多様性とは、態度だと思う。

標準


Photo credit: Rum Bucolic Ape via Visualhunt.com / CC BY-ND
最近、SMAPやらベッキーやら清原和博やら、芸能の話題が目白押し。

そんなに怒らなくてもっていうくらい、皆さん関心を向けてらっしゃいます。

こういうニュースを見るたびに「許容度」について考えさせられます。

自分の価値観と違うものに直面した時その人がどういう態度を取るのか。

特に、少数派の価値観への向き合い方

「自称理解のあるヒト」もいるのですが、自分が「理解する」と決めていないことに対しては、憤りを見せたり。

SMAPの問題はいいけど、ベッキーは困っている人がいるからダメ。

ベッキーは個人の恋愛だからOKだけど、清原は犯罪だからダメ。

結局、自分の価値観から外れるヒトをブロックしているんですよね。

コミュニケーション・戦略PRプロデューサーの片岡英彦さんは、こんなことを言っていました。

NHKを視ていると・・・

「大勢の視聴者」のために紅白歌合戦とか、朝ドラとか、大河ドラマとか、NHKスペシャルとか、これはそこそこ視聴率取らねばならない。

テレビの世界で「大衆性」ってのは編成方針の「命綱」でもある。マニアックな放送ばかりはできない。

一方、「少数の方のため」という視点も重視される。どう考えても視聴率をとらなさそうな「将棋」「囲碁」「スペイン語講座」「文楽」「クラシック」とかも放送せねば。これはこれで「公共放送」としては大事な視点なのだろう。それは理解できる。

でも・・・

「少数の方のため」といいながら、「オセロ」「チェス」「モンゴル語講座」「京劇」「雅楽」をレギュラー放送しない。定期的に放送されるカテゴリーは「少数というの名の多数」だったりもする。

何が言いたいかというと・・・

「多様性(ダイバーシティ)の時代」だと言われている。大きな方向性として大賛成だ。

「女性」「性的マイノリティ」「障碍者」「同和」「民族」という主たる「分野」では「多様性」が進んでいる。これらの尊重は「」だとされる。

一方、「不倫」「一夫多妻」「たばこ」「風俗産業」「ポルノ」「薬物使用」「反社会的勢力」といった「分野」は「」だとされる。

で、その「善」(認められる多様性)と「悪」(認められない多様性)との線引って、誰がどうやって決めているのだろう??

ひょっとして「マイノリティというの名のマジョリティ」なのかぁ??

そういえば「クラブの深夜営業」って、ついこないだまで「悪」だったけれど、最近、風営法が改正され。急に「善」へと解釈が変わった。「たばこ」は昔は「善」だったけど、最近は概ね「悪」である。

それはそれで「民意」なのだろうけど、こういう空気の「変わり目」に、私は興味がある。

認められる多様性と認められない多様性というのがある。

それは、社会が作ったものでもあるし、個々人が判断するものでもある。

もし、社会が個人の集まりで「民意」を作るのだとしたら。(この前提も怪しいですが)

個々人の考え方が多様性、つまり世の中に存在する価値観(や存在) に影響を与えるのだと思う。

ここで思う。

「認められる」価値観の幅を大きくしても、むしろ、認められることに意識を向ければ向けるほど「認められない」価値観は出てくる

大切なのは、認められない価値観(や存在)と出会った時に自分がどんな態度で向き合うのか。

「”理解できないヒト”もいるよねー。」なのか

「それは理解できない。だって◯◯でしょ?」となるのか。

ボクが言いたいのは、「理解できない存在を受け入れろ」ということではない

それは、「理解できない存在を受け容れない」という価値観に対する拒絶だと思うから。

平たく言うと、「まあ、そういうヒトもいるよね」と受容できるかという話。

『君は君、我は我なり。されど仲よき』
武者小路実篤

もちろん、ボクにだって理解できないものはあるし受け容れられない価値観はある。

それはそれで良いんだと思う。

それが、ボクの価値観だから。

誰にも否定されるものではない。

色々な人がいた方が、世の中おもしろい。

結局、多様性というのは、自分がどこまで認められるかという問題ではなく認められないことに出会った時に、自分がどんな態度を取るのか、ではなかろうか。

小川 晋平

About 小川 晋平

都内で、Dappsの企業を営む30歳。 ブロックチェーン、スマートコントラクトを使って 分散型の社会を作っていきます。